ハンセン病療養所の
世界遺産登録を目指して

長島は岡山県瀬戸内市東部の瀬戸内海にある周囲16kmの島です。
本土からは22mしか離れていません。
平安時代にはその美しさが多くの歌に詠まれ、
江戸時代には岡山藩池田家のお馬場として利用されました。

1930年、国は長島東部に国立第一号のハンセン病療養所長島愛生園を開設し、
長島はハンセン病患者隔離の島としての歴史を歩み始めます。
1938年には現在の邑久光明園が長島西部に開設され、
長島は一つの島に2つの感染症患者隔離施設が設けられる世界でも稀な島になりました。
現在、そこに暮らす入所者(ハンセン病回復者)約160人は既にハンセン病を完治しています。

第二次世界大戦後には有効な治療薬が普及しハンセン病は癒える病となりましたが、
隔離の根拠となった「らい予防法」は1996年まで存続しました。
ハンセン病は「感染力の強い恐ろしい伝染病」と戦前から国が主導した「無らい県運動」により
社会に広まった誤った認識は、療養所入所者とその家族への偏見と差別につながり、
多くの療養所入所者は完治後も社会や家族のもとに帰ることができませんでした。

「同じような経験をしてほしくない」という入所者は、
自ら経験を語り部として伝えていますが彼らの平均年齢は88歳を超え、活動が日に日に縮小しています。
海外では第2世代・第3世代がその役割を引き継いでいる事例もありますが、
日本の隔離政策は子どもを産み育てることを許しませんでした。

「私たちが生きた証である療養所内の建物や資料を、世界遺産として残せないだろうか」
という療養所入所者の思いを受けて、
2018年にNPO法人ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会が設立されました。
私たちは、長島内の建造物や史跡をユネスコ世界文化遺産に、
文書や映像など記録物をユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)にそれぞれ登録することを目指しています。

私たちが、これらへの登録を経て世代を超えて世界中に語り継ぎたいのは、次の2つのストーリーです。

ストーリー1
「ハンセン病患者隔離の歴史」

長島に強制隔離されたハンセン病患者は、療養所内で一生を過ごすことを強いられました。
長島への隔離の象徴である桟橋や、死後も社会や家族のもとへ帰れない遺骨を納める納骨堂があります。
療養所内の秩序を乱したとされた者のための懲罰施設、
「患者作業」の一環として入所者の手で作られた道路や畑、ため池や住宅なども残され、
完全に閉じられた環境における自給的自立的生活の一つの典型を見ることができます。

長島には、世代を超えて世界中に語り継ぐべき悲しい歴史があります。

ストーリー2
「人間としての強さとレジリエンスの証明」

社会や家族との関係が断たれ、療養所内では断種や堕胎、患者作業などの人権侵害を受けた療養所入所者は、
人間として当然の権利と処遇を求め、自治組織を充実させました。
戦前に処遇改善を求めてストライキを行った場である史跡や、
戦後に隔離が必要のない証として本土に架けた橋などが残ります。
一方、絶望の中にも文芸活動に生きがいを見出そうとした入所者は多くの文芸作品を残し、
療養所や自治組織の歴史的文書と共に貴重な記録物を構成します。

長島には、世代を超えて世界中に語り継ぐべき人間の生きた証があります。

未来につなげたい、
大切な記憶を世界中の人々へ

現在、国内に13ある国立ハンセン病療養所の中でも長島には
私たちが未来につなげたい2つのストーリーが詰まった建造物や記録物が多く残ります。
2019年には長島内の10件の建造物が国の登録有形文化財に登録されました。
しかしながら、それらの一部は倒壊の危機に直面しています。
近代の酸性紙に記された記録物も劣化の一途を辿っています。
私たちは世界遺産登録に向けた取り組みとしてこれらの学術的な価値を調査研究し、
適切な保存管理に向けた提案を所有者(管理者)である国に行っていきます。

人類は有史来、目に見えない新たな感染症への対応を迫られてきました。
そして私たちは2020年から2023年5月まで、
新型コロナウイルス感染症の国際的なパンデミックを経験しました。
ハンセン病とは原因、発病のメカニズム、治療法の有無などが全く異なりますが、
過酷な過去を経験した療養所入所者は言います。
- 感染者や関係者に対する疾病差別は決してあってはならない -
私たちは、ハンセン病療養所の世界遺産登録を目指す過程で日本のみでなく
世界中のハンセン病患者・回復者、そして家族の真の名誉回復を図ります。
世界中の人々が抱える様々な偏見と差別が解消され、
誰もが共生できるインクルーシブな社会の構築を目指して。

瀬戸内市ふるさと納税で、あなたの力をお貸しください。

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